僕等は完全無欠じゃ無い
原型を愛せる訳でも無い
この無様に移ろう形を
安い化けの皮を
噛み付き合い 剥ぎ取り合って
互いを見付けて来たんだろう
補い合うのなんざご免なんだ
さぁ好きに踊ろうぜ
何を創るつもりなんだ
自分で散らかした瓦礫の上
同じ物を欲しがって
同じ時を過ごしたのが運の尽き
縁が目に見えりゃもうきっと腐ってる
言葉は2層 面もそう
仏の顔だって3度までを
天文学的に超えてくる
華麗なステップで
僕等は完全無欠じゃ無い
原型を愛せる訳でも無い
この無様に移ろう形を
安い化けの皮を
噛み付き合い 剥ぎ取り合って
互いを見付けて来たんだろう
補い合うのなんざご免なんだ
さぁ好きに踊ろうぜ
誰になろうとしているんだ
最後はいつも自分を疑わないのに
背中合わせ 槍の雨
道連れ 泥舟 大アタリ
地獄の果てでもとは言ったけど
本当に連れて来んなよ
僕等は完全無欠じゃ無い
原型を愛せる訳でも無い
この無様に移ろう形を
安い化けの皮を
噛み付き合い 剥ぎ取り合って
互いを見付けて来たんだろう
補い合うのなんざご免なんだ
さぁ好きに踊ろうぜ
暑苦しいのなんざご免なんだ
まぁ好きに呼べばいい
[ Romaji ]
不完全な姿をそのまま抱えて生きることの不器用さが、ざわつくリズムの中で生き生きと伝わってきました。みんなが完璧ではないと知りつつも、つい相手の欠けた部分に手を伸ばしてしまう人間の愚かさと優しさが同時に描かれていて、読むと自分の中のぶつかり合いを見せられたような気持ちになります。飾りや見せかけを剥ぎ取る行為を通じて互いを確かめ合う様子は、時に痛みを伴いながらも真実に近づこうとする勇気に見えました。誰かと補い合うことを拒む強がりがありながら、結局は一緒に泥をかぶる覚悟も感じられるので、孤独を選ぶわけでもなく依存に溺れるわけでもない独特の等身大さが生まれています。言葉遊びや鋭い比喩が時折笑いを誘い、同時に人の器の小ささや優劣競争の馬鹿らしさを鋭く照らし出している点が印象的でした。荒れた場面で踊るように振る舞うことは、逃げではなく反抗の表現だったのかもしれないと受け止められます。最後まで自己矛盾を隠さずに晒すことで、潔さと投げやりさが混ざった独自の魅力を放っており、読む人は自分の身勝手さにも素直になる勇気をもらえるように感じます。